岩倉具視いわくらともみ

彼こそは天才政治家なんでしょうね。でも実際はお公家さんです。

和宮の将軍家嫁入り工作を主導したりして、当初は朝廷の中で「公武合体」の推進派でした。しかしその姿勢が嫌われ、のちに蟄居させられます。その蟄居生活が異常に長く、自らが陰で仕掛けた「王政復古の大号令」まで、蟄居は解かれませんでした。京都の北部、岩倉村に潜んでました。

でもそんな田舎に潜みながらも、そこで着々と政権奪取のための秘策を練ってました。そこに足繁く通ったのが、薩摩藩士・大久保利通です。

現政権を倒した後、どうしたら薩摩が政権の主導権を握ることができるのかを考えていました。坂本龍馬のような考え方には与せず、あくまでも「薩摩が政治の主導権を取る」というのを目指しました。 ※ここでいう「坂本龍馬のような考え方」とは、「慶喜を排除しない政権」ということです。

“錦の御旗”作戦は、岩倉具視が考えた秘策でした。“錦の御旗”を掲げることで、「幕府=朝敵」という構図を作ってしまおうという作戦です。“錦の御旗”は朝廷にあったものでもなんでもなく、岩倉具視が0から作ったものです。

彼は明治に入ってからも、政治の中枢にいました。

でも私たち世代にとったらこのおじさんは、500円札のおじさんです。小学生ぐらいの頃は、500円札がいちばんの友達でした。1,000円札を使いまくれる程、我が家は裕福な家庭ではありませんでしたので…。ちなみにこの時の1,000円札も、幕末の志士の肖像でした。伊藤博文ですね。