斎藤一さいとうはじめ

出自はよくわかってない。試衛館には出入りしていた模様。

彼が浪士組に参加したのは、近藤勇らが京都に来てからのこと。

剣の腕は相当だったようで、彼は京都でめちゃくちゃ殺しまくってます。

斎藤一は鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、白河口の戦い、母成峠の戦いと、主要な戦いに全て参加。要は連戦連敗なわけです。

でも彼はあきらめません。彼のポリシーは「会津を守る」だったのです。新選組として自分が活躍できたのは、会津藩のおかげ。そういう気持ちが強かったのでしょう。そういうわけで、北に上っていった土方とは対照的に、彼は会津に残りました。会津藩士として。

会津藩は会津戦争後に潰されました。会津の地を追われ、下北半島に移住します(斗南藩)。時尾と結婚した後に、今度は東京に移り住みます。警官になったのです。

そして彼は最後の戦いに向かいます。そう、西南戦争です。西郷をやっつけたいという気持ちもあったのでしょうね。

彼の墓は会津若松の阿弥陀寺にあります。

ところで…。彼は左利きに描かれることがよくありますが、史実としては間違いです。彼は左利きではありません。でもフィクションの世界では今や、斎藤一が左利きじゃないとかえって不自然なので、フィクションはフィクションとして楽しみましょう。