禁門の変(蛤御門の変)きんもんのへん

1863年8月の八・一八の政変で、一旦京都から一掃された長州の面々。しかしこれであきらめられるわけがありません。会津&薩摩憎しの思いが最高潮に達し、京都で爆発します。この時の戦いでは鉄砲や大砲が使用され、朝廷に向かって弾を撃ちまくります。京都の街はいたるところで火災が発生。悲惨な戦いでした。結局長州は惨敗しますが、この瞬間から彼らは「朝敵」という汚名を背負い続けることになります。

この戦いでは久坂玄瑞が自害。真木和泉も天王山で腹を切りました。攘夷派の象徴的な2人を失ったのです。