【風を読む】文科省は職務に精進しているか 論説副委員長・沢辺隆雄

 文部科学省の汚職事件の陰に隠れてしまったが先月27日、経済協力開発機構(OECD)のシュライヒャー教育・スキル局長が日本記者クラブで記者会見し、日本の教育政策について分析した報告書を公表した。OECDが同様の報告書をまとめたのは9年ぶりのことだ。

 「日本の強みを再確認できた」と評価する一方で、課題を指摘した局長の話は、示唆に富むものだった。

 局長は会見で最初に、学びをめぐる大きな変化に触れた。

 昔は分からないことがあれば、専門的知識を持った人が書いた本などを読んで調べた。現代はインターネットの検索で簡単にできるが、それが本当に正しいか、吟味していかなければならない。

 ネット上では全てがつながっているように見えるが、実は同じような考え方をした人ばかりに分類され、違うアイデアや文化に接触することが難しくなっている、とも局長は語った。

 そこで既存の考えに疑問を呈する批評的な思考の育成などが問われている。日本の生徒の苦手とされることでもある。

 日本の小中高校の新学習指導要領もそうした能力の育成を重視している。局長は方向性を評価しつつ、いかに実践に移していくかが問題だという。

 例えば生徒に「間違う」ことも大切だと気づかせ、間違いに対処する活発な議論を引き出せるか。それには教員の指導力が欠かせず、教員の質向上への投資を倍増すべきだとした。

 革新的な教え方は、下手に行うと結果が悪化するリスクもあると局長は指摘した。「ゆとり教育」失敗の前例もある。

 高等教育への投資や生涯学習のあり方を含め、日本の教育は重要な転換点にある。

 以前、このコラムでも触れたが、薩摩藩出身で明治期に初代文部大臣を務めた森有礼(ありのり)が書いた「自警」が大臣室など文科省幹部の部屋に掲げられている。教育を司(つかさど)る責任の重さを戒め、最後は職に死する覚悟を求めている。独立、公正を守り、脇目もふらず精進する。文科省はその厳しさを忘れていないか。

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