【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(26)ハングル普及に貢献した日本人 中国崇拝一辺倒を打破

ハングルの標識。慣れない日本人はハングル酔いになる?=韓国・ソウル ハングルの標識。慣れない日本人はハングル酔いになる?=韓国・ソウル

 朝鮮・韓国語を少しでも勉強した人は、よく分かると思うが、日本語との共通点が非常に多い。文法がほぼ同じだし、漢字由来の単語(漢字語)が多数を占めているから、やや発音は違うものの、日本人には何となく意味の予想がつく。

 のっぽ、おんぶ、デブ、ボロ(もうけ)、(腹)ぺこ、チョンガー、(ラクダの)パッチ…知らず知らずに使っている日本語の中にも、朝鮮語に関係があると思われる単語が少なくない(異説あり)。おそらく日本人にとって「最も習得しやすい外国語」であろう。逆もまた然(しか)りである。

 ただ、漢字は別にして、文字は全く違うから、とっつきにくい。初めて韓国へ行った日本人が、看板などに書かれた、見慣れない記号のような文字の洪水に頭がクラクラして、“ハングル酔い”になることもあるらしい。

 ハングルは、15世紀の半ば、李朝の王、世宗(セジョン)の時代に「訓民正音(フンミンジョンウム)」の名で公布された。母音と子音を組み合わせた合理的な表音文字で漢文を読めない庶民にも分かりやすいようにした画期的な発明であった。

 ところが、中国文化(漢文)ばかりをありがたがる朝鮮の支配者階級は、かたくなに「漢文」しか使おうとしない。せっかく独自の文字を発明したのに、それを「諺文(おんもん)」と呼び、知識のない者や女・子供の文字だとして、公的には使おうとしない向きもあったのである。ハングルは長らく“日陰の身”に置かれていた。

 ◆識字率を向上させよ

 李朝末期、朝鮮人の間でようやくハングルを再評価する動きが広がってきたが、そこには日本人の貢献もあった。

 福沢諭吉(1835~1901年)は、朝鮮の改革・進歩、文化の発展のためには、庶民にも読みやすいハングルを普及させて識字率を上げることが肝要だ、と考えた。福沢は、自らハングルの活字を特注して作らせ、門下の井上角五郎(かくごろう)(1860~1938年)を京城へ派遣する。

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 井上著の『福澤先生の朝鮮御経営と現代朝鮮の文化とに就いて』(昭和9年)を引いてみたい。《朝鮮には諺文(ハングル)がある。日本の「いろは」の如(ごと)くに用いられると知られて、(福沢)先生は、これさえあれば朝鮮も開化の仲間に入れることができる》

 福沢や井上の頭にあったのは、日本語の「漢字かな交じり文」だ。漢字のみの漢文や、ひらがな、カタカタのみの文は読みにくいが双方が交じると読みやすい。漢字は表意文字なので文意がつかめるからだ。

 ハングルは、表音文字であるため、同音異義語が多く、「防火」と「放火」が同じ表記になってしまう。そこへ漢字表記を交ぜると、文意がつかみやすくなるのは日本語と同じだ。福沢らは漢文志向が強かった当時の朝鮮に、漢字とハングルを交ぜた文を根付かせ、庶民にも読みやすくしようと考えたのである。

 再び前述書に拠(よ)る。《政治も法律も支那に模倣(略)官吏の文書に正音(ハングル)を交えることを禁じ…常民の全く学識なき者、婦女子のほかは、男子として諺文(同)を読んだり書いたりするのは一大恥辱…というのが朝鮮上流社会の思想であった》

 福沢と井上は、その思想を打破するために、ハングル入りの文を用いた新聞の発行を考えつく。《先生は「(新聞への)諺文使用は出来うるか」と言われました。私は、決して困難とは思いませんが、朝鮮上流社会の支那崇拝思想を打破せぬ限りは、これを社会に普及させられませぬ。これを打破するのが私の使命と思っています》

 そして、井上は、朝鮮人語学者の協力を得て、明治19(1886)年、形は少し違ったが、京城でハングルを入れた初の新聞『漢城周報』(週刊)の発刊にこぎつける。新聞は国王の認可を受け、政府の機関が発行所となったもので、朝鮮社会に与えたインパクトは大きかった。29年には朝鮮人の手によってハングルのみの独立新聞が発行される。

 ◆一村一校の小学校建設

 日本統治時代、ハングルは普通学校(小学校)の教科書に載り、朝鮮の子供たちに普及してゆく。

 日本が建てた初等教育の学校は、明治45年に500校あまり(児童数約6万6千人)だったが、「一面(村)一校」を合言葉に地方に広がり、昭和11年には、約2500校・児童数約93万人→16年、約3700校・約170万人と急増。終戦前の就学率が、5割を超えていたのは前回書いた通りである。

 初等教育機関は当初、日本人が主の小学校(一部の朝鮮人も通った)と朝鮮人児童の普通学校に分かれていた。昭和12年に名称はともに小学校となったが、学校の統一はされていない。「国語(日本語)能力」に差があったからである。

 朝鮮総督府は、普通学校で教える朝鮮語で、ハングルのつづりを統一するため、朝鮮語学者の協力を得て昭和5年に、諺文綴字(つづりじ)法を公布。正書法を完成させてゆく。

 前回、国語政策の「時代による濃淡」について触れた。大正8(1919)年の大規模な抗日運動(三・一事件)以降、日本は“緩やかな”「文化政治」にかじを切る。結社、集会の規制が緩められ、今も続く朝鮮日報や東亜日報といった朝鮮語の新聞も、この時期に創刊されている。

 だが、日中戦争開始(昭和12年)以降は、朝鮮でも戦時体制として皇民化政策が進められ、自由な雰囲気は失われてゆく。ハングルの普及活動を進めた朝鮮人の民間団体が、民族運動、独立運動の拠点とみなされ、治安維持法で検挙される事件も起きている(17年の「朝鮮語学会事件」)。

 ハングルは再び“日陰の身”とされたが、ハングル交じりの新聞(毎日新報)は終戦まで発行されている。

 戦後の韓国・北朝鮮は、一転して、民族意識の象徴としてのハングルを重んじ、漢字を排除するようになる。韓国では漢字教育をほとんど受けなかった「ハングル世代」が大多数を占め、自分の名前すら漢字で書けない人も多い。どうもこの民族は、極端に走りすぎる。=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

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