【正論】「議論の本位」定め大事を論ぜよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

 維新が成って間もない明治4年、新政府は岩倉具視を特命全権大使、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などを副使とする総勢107人の「岩倉使節団」を欧米に派した。維新政府の要人中の要人が実に1年9カ月をかけて米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、その他全12カ国を訪問し、スエズ運河、インド洋、マラッカ海峡を抜けて帰国した。新政府そのものがユーラシア大陸を長駆一巡したかのごとき壮図であった。

 文明を「体得」した岩倉使節団

 後に維新三傑といわれた大久保、木戸、西郷隆盛のうち、日本に残ったのは西郷のみであった。西郷の傑出した存在感に期待しての出帆だったのであろう。実際、西郷なくして廃藩置県が成功したとは思えない。西郷は薩摩、長州、土佐3藩の藩兵を解き、これを新政府直属の御親兵として組織、その頂点にいた。西郷は信望と人物の器の大きさを備えた最高権力者であった。政府は西郷に「留守政府」を任せ、西郷もその任に辛うじて耐えた。

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 しかし、使節団の派遣はある種の「政治的ギャンブル」であった。使節団の出航は明治4年11月、同年7月に断行された廃藩置県により幕藩体制というアンシャンレジームが廃絶され、家禄と地位を失った旧武士は各地で新政府に反抗の刃を研いでいた。この時期、旧武士の新政府に対する憤懣(ふんまん)は一触即発の域に達していた。実際、使節団の帰国後、不平士族により、明治7年には佐賀の乱、明治9年には神風連の乱、秋月の乱、明治10年には西南戦争が勃発している。いずれも廃藩置県が誘った既得権益者層による不満の暴発であった。

 改めて、なぜ新政府はこのように大きなリスクを賭してなお使節団を派遣したのか。維新が成ったとはいえ、新政府には国づくりの方法論がない。文明国に抗するには、文明化に邁進(まいしん)し自ら文明国とならねばならないが、そもそも文明国とはいかなる存在か、文明国の文明国たる所以(ゆえん)を指導者自身が「体得」するより他に手段はなかったのであろう。

 近代化遂行し世界に並ぶ国家に

 幕末に強圧的に結ばされた不平等条約の撤回を求めることも、使節団の目的であった。しかし、最初の訪問国の米国で不平等条約改正は時期尚早であることに早くも気づかされる。条約改正には、国内統治をまっとうする法制度の拡充、生産力と軍事力の増強が不可欠である。欧米列強と対等な文明国にならなければ、条約改正は困難だと悟らされたのである。

 大陸横断鉄道、造船所、紡績工場、水道、博物館、図書館、ガス灯、ホテル…総じて産業発展の重要性を悟らされ、さらには共和制、立憲君主制、徴兵制、議会制度、政党政治など、ありとあらゆる文明の諸側面について学び、これが久米邦武の膨大にして精細な『米欧回覧実記』に記された。

 この使節団の実感を一言でいえば、文明国のもつ文明の圧倒的な力であったといっていい。その後の富国強兵・殖産興業政策が、さらには憲法と議会制度が次々とあきれるほどの速さで実現されていったのには、使節団の体得した知恵があったからだといっても過言ではなかろう。明治前半期の富国強兵・殖産興業、すなわち軍事、鉄道、電信、鉱山、造船など近代産業の育成政策の遂行には躊躇(ちゅうちょ)というものがなかった。

 明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争、新政府が生まれてそれほど経過していないこの時期に、清国、ロシアという往時の世界の大国に勝利するまでの力量を日本は身につけたのである。岩倉使節団の派遣という冒険主義的な意思と行動の意味を、私どもはもう一度真剣に見つめなければなるまい。

 「事の軽重」を見誤ってはならぬ

 東アジアの地域秩序が大変動期に入った。朝鮮半島情勢の帰趨(きすう)によっては日本が存亡の縁(ふち)に立たされる危険性がある。「小事」に淫(いん)する国会議論、ジャーナリズムの大衆迎合が日本の「大事」を失することにはならないか。

 福澤諭吉の信念は「西力東漸」の帝国主義時代にあって日本が亡国を免れるには、文明開化以外に道なし、であった。いかにすれば日本の文明開化は可能か。3度の洋行での知見と数多くの欧米文献を渉猟して執筆された福澤畢生の大作が『文明論之概略』である。第1章が「議論の本位を定る事」であり、その文頭にこうある。

 「軽重、長短、善悪、是非等の字は相対したる考より生じたるものなり。軽あらざれば重あるべからず、善あらざれば悪あるべからず。故に軽とは重よりも軽し、善とは悪よりも善しと云うことにて、此(これ)と彼と相対せざれば軽重善悪を論ずべからず。斯の如く相対して重と定り善と定りたるものを議論の本位と名(なづ)く。…都(すべ)て事物を詮索するには枝末(しまつ)を払てその本源に遡(さかのぼ)り、止(とどま)る所の本位を求めざるべからず。斯の如くすれば議論の箇条は次第に減じてその本位は益(ますます)確実なるべし」

 国人よ、現下日本の「議論の本位」を見誤ることなかれ。(拓殖大学学事顧問・ 渡辺利夫 わたなべとしお)

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