京都所司代上屋敷跡

松平容保が京都守護職を務めている時、京都所司代は容保の弟の松平定敬が務めてました。八・一八の政変後、朝廷の下で雄藩(薩摩・福井・宇和島・土佐)が政治に参加する形が完成しつつありました。しかし主導権争いが活発になり、最終的には慶喜が勝ちます。その結果「一会桑政権」が政治の実権を握ります。「一」は一橋慶喜の「一」。「会」は会津藩(容保)の「会」。「桑」は桑名藩(定敬)の「桑」。要はこの3人が京都の政治を主導したということです。

所在地: 京都府京都市上京区丸太町

投稿者: ryomaky

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