生麦事件之跡

文久2年8月、数百人を従えた島津久光一行は、生麦村のあたりを通りかかりました。この時、イギリス人(4人)とすれ違います。薩摩藩士はそのイギリス人に「馬から降りて道を開けろ!」と伝えますが、日本語を理解できません。結局薩摩藩士の行列の中に突っ込んでくる形となりました。この行為に怒った数人が、このイギリス人を斬ってしまったのです。

「大名行列とぶつかったら、道を開けないといけない」なんてルールは、イギリス人は知りません。起こってはいけない事件が起こってしまいました。

翌年の夏、イギリスが薩摩まで復讐しに来ます。薩英戦争です。この戦いで薩摩は惨敗。この時薩摩藩は、イギリスのあまりにも強すぎる戦力を目の当たりにし、「今の日本が欧米列強に対抗するなんてムリだ」と悟ります。「攘夷」を声高に叫ぶ虚しさに、気づいてしまったのです。この結果、薩摩とイギリスは急速に仲良くなります。

生麦事件が起きてなかったら、もしかしたら歴史は違う方向に進んでいたのかもしれませんね。

所在地: 神奈川県横浜市鶴見区生麦4-25-41

投稿者: ryomaky

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